シーサーについて
沖縄のやちむんを代表するシーサー。その歴史は古く脈々と受け継がれることで、今では沖縄の風景に欠かせないやちむんとなりました。皆に愛されるシーサーのことを少しご紹介いたします。
シーサーの歴史
シーサーの起源は古代オリエント。エジプト・メソポタミア文明において聖なるものや王位・権威の象徴、魔除けとして、ライオンの像を用いたことが源流とされています。
代表的なものには、ライオンがモチーフの守護神、スフィンクスの石像。王の墓であるピラミッドを守るその姿は、シーサーの父とも言える存在です。
ライオン像を守護獣とする流れは、シルクロードを渡って中国に渡り、唐獅子となります。中国国内では実物を見る機会が無かったライオンの姿形を、口伝により表現したことで唐獅子の独特のフォルムが生まれたそうです。
その唐獅子が沖縄に伝わり、現在のシーサーとなりました。シーサーという名称も、中国でライオンを意味する獅子(サンスクリット語を音訳したもので、中国でも外来語)からシーシ、シーサーと沖縄風に発音されるようになっていったと言われています。
同じように、日本本土にも獅子が伝来しますが、中国から直接伝来したものは唐獅子、朝鮮半島からの流れで伝来したものは狛犬と呼ばれました。伝来したルートにより、呼び名が変わったようです。
開口・閉口の姿
もともと古代オリエントでは単体で置かれていた獅子像ですが、中国に伝来した際には仏教における、万物の始めと終わりを意味する「阿吽」の象徴として、開口・閉口で形を違えたものを対で設置するようになったと言われています。
シーサーの場合にも、この仏教観が影響し、阿吽を表現した開口・閉口で一対のものが多く作られてきたとされる考えが基本的ではありますが、対での姿を「陰陽説」と結びつけ、雌雄を意識して作られたものも多く見受けられます。
その場合開口を雄獅子・閉口を雌獅子と表現したものが一般的です。本来では開口が「阿」、閉口が「吽」の意味での表現ですが、現在では雌雄の概念が広く浸透し、シーサーの呼び方として開口が「雄」・閉口を「雌」とする場合が多くなっています。
設置の向きについても仏教からの流れで、開口は向かって右、閉口を左での配置が一般的です。
シーサーの目的と意味
琉球王国時代、中国や日本各地など、外地との交流が盛んになった14世紀ごろにはじめて伝来したシーサー。この時代には貴族や王族の守護獣として、城や寺、墳墓に据えられていたほか、装飾として使用されていました。
権威の象徴としての性格が強い時代です。17世紀ごろからは、村落獅子として村の入口や見晴らしの良い高台など、守護神・火伏せ・魔除けの意味合いで設置されるようになりました。
風水に基づいた場所に設置される事が多く、災難を招く「フィーザン※火山」の方角に、邪気返しとして設置されました。
※邪気を発する山をフィーザンと呼んでいたそうです。
琉球王国が廃止され、沖縄県となった明治時代からは、民家の屋根にも赤瓦の使用が許可されたため、シーサーが一気に民衆へ広まります。
瓦葺き職人が屋根を葺いた後、あまった瓦と漆喰で製作した漆喰の屋根獅子をはじめとし、門柱や屋敷内に設置した陶器製の獅子たちが、家庭の魔除け獅子として広く親しまれるようになりました。
さいごに
シーサーは、地域を、家族を守る魔除け。地域を、家族を大切にする沖縄の人々の心が、シーサー文化をつくって育ててきました。
シーサーとは、沖縄の人の「心」そのものなのです。
シルクロードを経て沖縄に入ってきた獅子は、時代と共にその姿を変えてきました。時には王の墓石を守るための獅子。時には集落を守る村落獅子。
赤瓦が普及し、屋根の上の漆喰獅子。その中で、陶器製の獅子は、沖縄の台風や塩害などに対し、耐久性に優れていることから現在最も一般的な形として作られています。
建築の様式によってさまざまに変化してきた獅子は、その時代の生活様式に合った形で表現されるようになりました。
現在では、マンションや集合住宅にあわせた小さなシーサーや、ホテルやビルのエントランスなどに設置される大きなシーサーなど多種多様なシーサーが、各地で数多く製作されています。
形にも色にも、ルールのようなものはありません。設置場所やインテリアに合わせて、お好みのものをお選び頂ければと思います。
*参考資料:有限会社 沖縄文化社「シーサーあいらんど」
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